「経済的自由を手に入れる」
そのようなキャッチコピーで様々なビジネスを展開する人たちがいます。
「経済的自由」を求める人からお金を搾取して自分が儲ける。
一見矛盾していて、かなり悪徳感の漂うイメージですが、それが悪いとか悪くないとかをここで議論するつもりはありません。
大事なマインドの話をしていきたいと思います。
まず、「経済的自由」とはどういう状況でしょうか?
ズバリ、一言で言ってしまえば
不労所得が支出を上回ることです。
不労所得とは何でしょうか?
それは自分が働かなくてもお金が手に入ることです。
会社の社長や個人事業主は「経済的自由」とは言いません。
所有する不動産、株式(会社オーナーも含む)などの配当・利回りで生活ができることはそれに当てはまります。
つまりはお金をたくさん稼いでいても、自由な「時間」がなければ「経済的自由」ではないということです。
以上の話を聴いて、働かなくて金儲けをするなんてけしからん、
「働かざる者食うべからず」だと思った人はかなりヤバイです。
そのマインドを変えないと永久に資本家たちに搾取され、奴隷のように働き続けないといけません。
日本人は昔から「労働は美徳」とされてきました。
それには、当時の時代背景や政治的な理由がありました。
(これについての詳しい話は別の機会に・・・)
しかし、これからは単純労働や知的なデータ分析でさえロボットやAIがやってくれます。
「労働」自体の考え方を変えていかないと、もはや時代についていけないのです。
働いてお金を稼ぐ(自分の労力と時間を使って対価を得る)
という考え方から
人が喜ぶ物(求めているもの、サービス)を提供して、それと同等の物、サービス、対価と交換する
という考え方に変えていかなかればなりません。
そして、それを個人(仲間)で考え、作って、発信していく
そうすることによって結果「経済的自由」を得ることができると思います。
お金と自由を手に入れても、そこから何もしなければ、それは死んでいるも同然です。
「経済的自由」という言葉が先走りをしていますが、その先の目的を考えなかったり、軽じてしまうと結局は充足した生活を送れず、不幸になると思います。
お金を稼いで、自分が思う社会貢献をすることで、経済、もっと言うと社会がうまく循環すると信じています。